2009年2月21日土曜日

2/21 Today 和気清麻呂が死ぬ(799)

日本のラスプーチン道鏡は女帝称徳天皇をそそのかし、自ら天皇になろうと画策するが、身を挺してその陰謀を阻止したのがこの人であった:
和気清麻呂 - Wikipedia: "和気 清麻呂(わけ の きよまろ、733年(天平5年) - 799年4月4日(延暦18年2月21日))は奈良時代末期から平安時代初期の高級官僚。

道鏡は自ら皇位に就くことを望む。称徳天皇は和気清麻呂を召し宇佐八幡の神託を伺う(確認する)様、命じる。 清麻呂は天皇の勅使として八幡宮に参宮。清麻呂は大神の神託、「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ。無道の人は宜しく早く掃い除くべし」(八幡宇佐御託宣集)を朝廷に持ち帰り、称徳天皇へ報告する。報告を聞いた天皇は怒り、清麻呂を因幡員外介にいったん左遷、さらに別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と改名させて大隅国(現在の鹿児島県)に流されることになる。"


称徳天皇は自分の恋人道鏡を天皇にしたかったので、当然和気清麻呂にはすごい圧力をかけていたはず。当時の宮廷の空気もそういうものだったのだと推測される。それに逆らった和気清麻呂はいわば「空気の読めない男」だったわけ。「KY」にこそ価値があるのである。

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